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第5回中国人作文コンクール 1等賞 張妍
时间:[2015-12-09]            阅读: 次

夢を実現する学校

父のアルバムに、父と岐阜県立岐山高校職員が笑顔を浮かべ、一緒に立っている二十一年前の古い写真がある。

1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で「改革開放政策」が承認された。これは文化大革命により疲弊した経済を立直し、生産力を高めるための国内体制の改革及び対外開放政策である。農村では人民公社を解体し、経営自主権を保証し農民の生産意欲の向上を努めるなどの政策が実施され、一方、日本・欧米の資本を積極的に導入するために経済特別区を設け、人材と技術の導入に努め、生産性の向上が図られた。その結果、GDP国内総生産は1978年の3600億人民元から2008年の30万億人民元に増え、国民の生活水準は向上し、テレビや洗濯機、クーラーなどを購入できる生活となり、生活の豊かさを実感できるようになった。「製品のチケットを買い、製品が出来上がる日を待つ」話は過去のものとなった。

経済などの改革開放だけでなく、教育改革開放も並行して行われ、中国の大学入試は再び実施され、570万の若者は各地から大学へ行くことができ、知識尊重、人材尊重の春を迎え、教育は全国で注目されるようになった。

私の故郷岐山県は中国古代の周王朝の発祥地として有名だが、30年前は内陸の小さな、貧しい県で、外国人との交流は全くなく、新聞で外国のニュースを知る程度であった。1988年8月26日から三日間、改革開放政策の一環として、岐阜県立岐山高校の山田勝弘校長は職員を引率し、陝西省岐山県岐山中学と友好学校条約を結ぶために、岐山中学を訪問した。日本の「岐山高校」は中国語に訳すと「岐山中学」になる。同じ名前のよしみで、両校は交流を図ることになったのである。

岐山高校からの訪問は、地域の小さな枠の中で努力していた学校に大きな改革をもたらすことになった。岐山高校の職員は岐山中学職員と友好を深める一方、日本の学校のカリキュラム、教科指導、生徒指導、教育相談などについて、岐山中学職員に熱心に説明をした。充実した教育内容と授業実践を聞き、これまでの自分たちの教育は遅れたものであることに気づいた岐山中学は教育改革に着手した。翌年の1989年5月下旬から6月上旬にかけて、中国の岐山県教育関係者は日本の岐阜県を訪ねた。5日間にわたり教育機関や学校を訪問し、教育管理、教育経営、授業実践、進路指導などについて、研修を積み、その成果を生かす熱い思いを持って帰国したのであった。

この後、岐山中学は、日本の教育方法を積極的に取り入れた学校運営を行い、教育改革を本格的に推進した結果、数年の間に進学率は飛躍的に高まり、学生は多くの大学に進学するようになり、学生の夢を実現する学校になった。

陝西省からは3年生の98%以上が卒業し、大学の進学率も高く、学生、教員ともに優秀な高校として「省級優秀学校」の表彰を受けるに至り、「岐山中学で勉強すれば、どこの大学にも合格できる。」との地域の信頼を得て、父兄はこれまで以上に学校を支援するようになった。大学で教育を受けた学生は、岐山県に戻り、いろいろな職場で岐山の繁栄発展のために尽力し、地域は元気になり、活生化された。私は岐山中学に入学し、身をもって学生の学習意欲の高さと教員の熱意溢れる指導を知った。

改革開放による教育改革分野でのこの成果は、広い中国にあっては小さなことであり、人々にほとんど知られていないのが現状である。しかし、岐山に住む私たちにとって、この教育改革により岐山中学が「学生の夢を実現する学校」に生まれ変わったことは、かけがえのない大きな事跡であり、郷土の誇りになっている。

岐山中学の元副校長であり、校長として再び岐山中学に戻った時、父はアルバムを見て、生き生きとした表情を浮かべ、「今、この学校があるのは、全部あの交流のおかげだ。」と私に話をした。

参考文献:1、「宝鶏市教育誌」2、「岐山高中誌」

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